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【アラベスク】  第8章 荊の城



第2節 鰯のそらと蝉のかぜ [17]




 緩の素行。
 考えるだけで胸の辺りに気持ち悪さが競りあがる。
 湿り気を帯びた、それでも項に涼しい風。窓の外に広がる景色。夏を惜しむ蝉の声。積乱雲。千切れ雲。
 いったい今は夏なのか? それとももう秋なのか?
 どっちかハッキリしてくれよっ!
 反りの合わない緩と対面したせいか、ワケのわからぬ怒りが膨らむ。
 落ち着けよ。今は瑠駆真の手前だぜ。
 少し前、その瑠駆真の視線も(はばか)らず、美鶴に詰め寄っていたのを思い出す。
 力任せに押したって、美鶴が素直に口を開くとは思えない。それは聡もわかっている。
 きっと瑠駆真は俺の事と、能無しのバカだとでも思ってんだろうな。(はた)から見たってそうだろうよ。俺自身だって、もうちょっと頭使えねぇのかって、情けなくなるもんな。
 美鶴が澤村にフられて、里奈に裏切られたってふてくされてた時だって、俺は気の利いた対応は何一つできなかった。美鶴にとって俺なんか、きっと大して役にも立たねぇ存在なんだろうよ。
 きっと瑠駆真の方が、俺よりずっと信頼されてる。
 それはわかってる。
 だけどさ、だけど、たとえ自分が劣勢であったとしても、姑息な手段に手を染めるのは嫌だ。
 コイツには負けない。だが、緩と手を組む気もねぇ。
 俺は、例えライバルであっても、卑怯な手を使うつもりはねぇ。実力で美鶴を手に入れる。
「意味深な発言はやめてくれ」
 黙ってしまった聡の態度に、苛立ちを滲ませる瑠駆真。聡はヒョイっと肩を竦める。
「俺だって、詳しくは知らねぇ」
「知ってる範囲で構わない」
 知っている事は全部話せと、軽く凄みまで含ませる。瑠駆真にしては本当に珍しい。何が彼を不機嫌にさせているのか?
 小童谷との会話の雰囲気を引きずる相手に、聡はさすがに面食らう。そうして、しばらくののちに口を開いた。
「緩は、廿楽の手下だ」
「廿楽?」
 上目遣いで考えを巡らせる瑠駆真。
「生徒会副会長だよ」
「それはさっき聞いた。義妹を手下と呼ぶのはどうかと思うけど… で? その手下が、なんで気をつけろなんだ?」
 廿楽が瑠駆真に惚れているから。だから手下である緩が工作している。
 それをバラすのは簡単だ。
 だが、緩のあの様子。きっと廿楽側では最高機密だ。聡がバラしたとなれば、どんな揉め事に巻き込まれるのかわからない。
 先ほどの田代里奈の件といい、ヘタに首を突っ込むと、思わぬトラブルに巻き込まれる。それは御免だ。
 まぁ、廿楽も緩も、俺の知ったこっちゃねぇしな。
 言い聞かせ、大げさに両手を広げる。
「言っただろ」
 目の前には怪訝そうな二人。
「俺は詳しくは知らねぇって」
「何よそれ?」
 納得できない美鶴。そんな彼女にズイッと身を乗り出し
「それよりも」
 と口元を歪める。
「いい加減、白状しろよ」
 浮かべる笑みには、先ほどの瑠駆真に負けず劣らぬの威圧を込める。
 揺るぎのない瞳がキリリと見下ろし、開くとも閉じるとも曖昧な唇が、並びの良い歯をチラリと見せる。
 暑さに我慢できず開かれた胸元。項で縛った髪の毛が一房、風に踊る。
 威圧以上の何かを漂わせる聡の風采に気圧されまいと、美鶴は必死に胸を張った。
「何がよ?」
 聡の瞳があだっぽく光る。
「京都の夏」
 途端、グッと睨み返す美鶴の視線に、聡はチッと舌を打った。





「心配することはない」
 小童谷の言葉にも、緩は不安顔。
「山脇瑠駆真は必ず、お茶会に出席させるよ」
「できるんですか?」
「あれ? 信用してない?」
 上級生の、しかも廿楽の親戚から問われ、緩は慌てて首を横に振る。
「そんなコトありませんっ!」
「だったらそんな顔しない」
「はぁ」
 小童谷を信用していないワケではない。ただ、その自信がどこからくるのかがわからないのだ。
 口だけの、根拠のない発言にしか聞こえない。ゆえに不安だ。
 もし山脇瑠駆真をお茶会に誘えなかったら、今度こそ緩は廿楽から突き放されてしまう。
 唐渓において、必要不可欠な後ろ盾。だからどうしても、どうしても彼を廿楽の傍へ連れて行かねばならない。
 それを邪魔しているのは、たぶん、大迫美鶴。
「ずいぶんと、勝ち気そうな子だったね」
「え?」
 見上げる小童谷は、前を向いたまま。
「あの大迫って子。他の子たちからはあんまり好かれてはいないみたいだけど、なんとなくわかるよ」
「無愛想ですよね」
 話を合わせるべく、そう答える。実際、緩も美鶴にそれほど好感は持っていない。
 なんとか瑠駆真を美鶴から引き離そうとすべく、ストーカー(まが)いに彼女の周囲をウロチョロしていたが、大迫美鶴という人間は、それほど愛想は良くない。
 特別綺麗なワケでもないし、どうして義兄や山脇瑠駆真は、あれほどまでに執着するんだろう。てんで理解ができないわ。
 私の方が、よっぽどいい女なのに。

 そう、あなたは聡明で、優しくて、人の痛みのわかる人だ。

 耳の奥に響く、心地良い言葉。
 緩を大きく包み込む。
 そうだ。私が間違っているはずがない。こんなに頑張っている私が報われないのは、苦労ばかりするのは、きっと世の中が間違っているからなのだ。
 大迫美鶴のような人間に異性が惹きつけられ、私が(ないがし)ろにされるのは、世の中が(すさ)んでいるせいだ。







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